更新日: 2019.01.08 その他

<身近な電気の話>「成功を望むなら敵をもて」 エジソンvsテスラ

執筆者 : 藤森禮一郎

<身近な電気の話>「成功を望むなら敵をもて」 エジソンvsテスラ
「電気」と聞いて思い出す技術者にトーマス・エジソンがいます。白熱電灯や蓄音機を考え出した偉大な発明家として知られていますが、直流の発電機を使って街中に配電線を張り「電気を売る」商法を考えついた電気事業の元祖としても知られています。起業家としてもすぐれた能力を持っていました。
しかし19世紀末から20世紀にかけて、電気事業を発展させ第2次産業革命をもたらしたのはエジソンではなくニコラ・テスラと言われています。テスラは直流に代わる交流発電機と交流モーターを考え出しました。さらに電気を大量に送ることが可能な多相交流送電技術を発明し巨大な送配電ネットワークで発電所と需要家をつなぐ今日の電気事業の基礎を築いたのです。アメリカのワシントンにあるスミソニアン博物館は「20世紀のもっとも偉大な科学者はエジソンではなくテスラだ」とその偉業を紹介しています。


藤森禮一郎

Text:藤森禮一郎(ふじもり れいいちろう)

フリージャーナリスト

中央大学法学部卒。電気新聞入社、電力・原子力・電力自由化など、主としてエネルギー行政を担当。編集局長、論説主幹、特別編集委員を経て2010年より現職。電力問題のコメンテーターとしてテレビ、雑誌などでも活躍中。主な著書に『電力系統をやさしく科学する』、『知ってナットク原子力』、『データ通信をやさしく科学する』、『身近な電気のクエスション』、『火力発電、温暖化を防ぐカギのカギ』、『電気の未来、スマートグリッド』(いずれも電気新聞刊)など多数。

電気を販売する仕組みを世界で最初に考え出したのがトーマス・エジソン

 

私たちが小学校で最初に習う電気は電池を使った直流ですね。ところが現在、電力会社が送電線や配電線を経由して工場や家庭に届けている電気は交流です。何があったのでしょう。歴史を少しさかのぼってみましょう。

配電ネットワークを張り、直流発電機とモーターや電灯をつないで、顧客にモーターや電球を使ってもらって電気を販売する仕組み(ビジネスモデル)を世界で最初に考え出したのがトーマス・エジソンです。電気事業の元祖ですね。電球や蓄音機、電話、電気投票機、株式相場表示器など1300もの身近な発明品を世に送り出した発明王エジソンですが、ある日ニューヨーク・マンハッタンで「ガス配管を見てひらめいた」ことから、250Vの小さ直流発電機と250Vの直流モーターを使って電気供給事業を始めました。1882年のことです。

 

発明王エジソンが凄いのは直流配電方式について幾つもの特許をとり、ビジネスモデルに必要な機器類の使用権も販売していたことです。アメリカにはデトロイトエジソン、コン・エジソンなど〇〇エジソンと名の付く会社がいくつもあるのはそのせいです。

初期の段階では日本だけでなく世界中で直流の電気が採用されていました。しかし、エジソンの直流電気事業は永くは続きませんでした、次第に交流電気事業の時代が変わっていきました。

というのも需要増加に従い電圧の降下問題が発生し、遠くまで電気を送れない、電圧を変換しにくいなどの課題が表面化してきました。加えて複数の発電所を連系して大きなネットワークを組むのが技術的に難しく、優れた発明だったのに。文明の高度化や産業の高度化に直流ネットワークは馴染めなかったのですね。

 

エジソンの「直流」に対して「交流」を主張したのがテスラ

 

日本でも明治20年(1887年)、東京電灯(東京電力HDの前身)のが日本で初めて電力供給事業を始めましたが最初は直流でした。その後各地に誕生した電力会社もほとんど直流供給でした。ただ少し遅れて開業した大阪電灯(関西電力の前身)は最初から交流で供給したという記録があるそうです。東京電灯も浅草発電所では交流を採用しました。

 

エジソンが絶対の自信を持つ直流方式に「ノー」と言い交流方式で真っ向勝負に挑んだ技術者いたのです。オーストリア・ハンガリー生まれのセルビア人の電気技師のニコラ・テスラです。エジソンの直流とテスラの交流の争いは当時、産業界や投資銀行も巻き込んで世論を二分した大騒動だったそうです。

 

テスラは地元ハンガリーの高校、大学を卒業後しばらくは電話会社で電気技師として働いていましたが、ほんのわずかなお金をポケットに忍ばせフランスの港からエジソンの住むアメリカ・ニューヨークに渡り、1884年に憧れのエジソン電灯に採用されました。彼の才能にほれ込んだエジソンは、顧客に売った直流モーターが故障しがちだったので、改良を命じました。ところがテスラは「これからは交流の時代です」と、自らが発明した交流モーターの採用を提案したのです。直流配電に絶対の自信を持っていたエジソンがこの提案に応じるはずがありません。直流か交流かをめぐり二人の意見は対立、しばらくしてテスラはエジソン電灯を退社してしまいました。

 

エジソンは努力の人、テスラは天才発明家

「発明は1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力」とはよく知られたエジソンの言葉です。実験と試作を重ね実用製品を発明にこぎつける発明王エジソンは努力の人だと思いますね。

これに対しテスラは電力、通信、放送などに関する理論を証し、多くの基礎技術の発明や考案を多くものにしている「天才発明家」です。20世紀に人工衛星が飛行させ月に人類を送り込めたのもテスラの発明のおかげです。交流発電機、多相交流送電技術に止まりません。私たち知らず知らずのうちに恩恵を受けている無線通信、ラジオ、リモートコントロール、テスラコイル、交流モーターなど300が件ほど発明しています。それぞれの特許を取得して居ますが、エジソンのようなビジネス感覚には恵まれていなかったのでしょうね。あまり知られていませんが、晩年は不遇でした、

 

第二次産業革命につながる交流時代の幕開

 

退社したテスラに手を差し伸べたのが、米国の著名な電機メーカー・ウェスティングハウス(WH)の創業者、ジョージ・ウェスティングハウスです。列車の連結器を発明した技術者のウェスティンハウスはテスラの持っていた特許をすべて買い取り、ナイアガラの滝発電所の設計を彼に任せました。そこからニューヨーク州北部の都市バッファロー市まで高圧交流送電を走らせ世界で初めて交流による電力供給を実現しました。第二次産業革命につながる交流時代の幕開けです。

 

エジソンは教育熱心な母親のもとで独学でしたがテスラは高校、大学で物理、数学、哲学を学びました。学生時代に神経障害を患いましたが、そんなときでも彼の頭の中にはいつも電気に関する「ひらめき」が走っていたそうです。病気回復後に友人と公園を散歩しているとき、回転磁界や多相交流の設計図が頭の中に次々と浮かんできたのは有名な話です。

 テスラも幼少のころモーターづくりが大好きだったようです。工作を重ねるうち電流をモーターに伝える「2本のブラシがいらないモーター」はないか、常々考えていたようです。何とか火花の出ない安全なブラシレス・モーターを作りたいとの夢が膨らみ、それが後の交流モーター、交流発電機発明につながったようです。

 

AI時代の第4次産業革命を支えるのも電気の文明

 

エジソンとテスラは生涯ライバルだったのです。スミソニアン博物館の展示フロアーはライバル関係を十分に意識した展示になっていて興味深いです。意見対立の原点となった直流モーターと交流モーターを向かい合わせで並列展示し、そこを起点にエジソンコーナーとテスラコーナーを両側に広げています。エジソンコーナーの入り口には大きなエジソンの顔写真が掲げられ、その脇に「成功を望むなら、敵をもて」とのエジソンの言葉がかかげられています。アメリカらしい言葉ですね。

 

21世紀に入り電気事業も通信事業も、電機産業も発展し続けています。IT時代をもたらした第3次産業革命もAI時代がもたらすだろう第4次産業革命も、それを支えるのは電気の文明です。水力、火力、原子力、地熱、太陽光、風力など様々な無数の発電システムをネットワークし安定した電力供給を実現しているのはテスラの考え出した交流電力システムです。でも日常手にしているケータイ電話などのモバイル機器、コンピュータ機器などには今も直流が使われています。太陽光発電や燃料電池の電気は直流の電気です。どちらも不可欠な技術です。それぞれの特徴を活かしてさらに発展していくでしょうね。

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