更新日: 2019.01.08 その他

実録!ベトナムで家賃1万円、一食15円のインスタントラーメンと1キロ100円の米で暮らした20代の若者の経験

執筆者 : FINANCIAL FIELD編集部

実録!ベトナムで家賃1万円、一食15円のインスタントラーメンと1キロ100円の米で暮らした20代の若者の経験
経済成長が著しいベトナム。物価の安さや食べ物のおいしさで、観光地としても人気の国です。
 
今回は、そんなベトナムに20代のころ単身で訪れ、現地で仕事をしながら生活を送ったTさんにお話をお伺いしました。
 
現在、Tさんは30代前半。当時のTさんのベトナムでの生活は、決して楽な暮らしではありませんでした。
 
しかし、生き方のモデルがない中、四苦八苦して道を切り開いたことでしか得られない貴重な経験と、多くの出会いは何物にも代え難い財産のように感じられたと言います。
FINANCIAL FIELD編集部

Text:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)

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大学院卒業前にベトナムホーチミンへ。月収4、5万円、家賃1万円の生活

Tさんは日本の教育系の大学院生時代に休学して、約1年間ベトナムのホーチミンを訪れました。
 
留学する蓄えもなかったため、ホーチミンの郊外にある私立大学で日本語の講師をして収入を得たそうです。
 
時給は約500円(それでも当時、現地の日本語講師の時給としては破格)、コマ数も少なく、月給は3万円程度でした。
 
足りない分を補てんするために民間の日本語学校での夜間アルバイトを掛け持ちしていましたが、その分の収入を合わせてもひと月の稼ぎは4~5万円ほどだったと言います。
 
Tさんは、大学教員の紹介で、大学近くにある(ホーチミン市中心から車で約20分の郊外)家賃1万円ほどの部屋を間借りしました。広さの12畳くらいのワンルーム。
 
クーラーはなく、ファンと年代物のテレビや冷蔵庫、室内設備にはトイレとシャワーがあったそうです。
 

ベトナムでの食生活。お米1キロ100円、インスタントラーメン10~15円

当時の支出のほとんどは家賃と食費。これをどう切り詰められるか。当時のベトナムではお米1キロが数十円~100円ほどで買えました。
 
袋のインスタントラーメンも1個10~15円ほどで売られていたので、ガスコンロを購入して、インスタントラーメンを食べた後のおつゆでおかゆを作りよく食べていたそうです。
 
外食は外国人向けの飲食店ではなく、ローカルの食堂を利用しました。ベトナムの麺料理フォーは100円ほど、フランスパンを使ったベトナム風サンドイッチ(バインミー)は40~60円ほど、移動式屋台での簡単な食事(チャーハン、揚げ物、パンなど)は20~30円ほどで食べることができたそうです。
 
ローカル生活に慣れてしまえば、ベトナムでは外食をしても、安くすむところが大きな魅力です。
 
遊ぶお金がなかったTさんは、時間だけはあったので、暇なときは片道1時間ほどかけて市内の中心まで往復したり、自力でベトナム語を学んだりしました。
 
間借りしていた家の一階が洋服の仕立て販売をしていたため、そこの従業員としどろもどろになりながら筆談をしたり、発音を教えてもらったりしながら、少しずつ話せるようになりました。
 
また辞書を購入し(英越・越英・日越・越日が各数百円)、新聞や書籍を訳して読み込むなどしました。結果的にこのとき学んだベトナム語がその後のベトナム生活を大きく左右しました。
 

大学院卒業後、ベトナムでビジネスマンに。生活は一転。それでもローカル生活が大好き。

Tさんはベトナムで暮らした経験から、大学院卒業後もベトナムで働きたいと考えました。日本に帰国した後の就職活動は、ベトナムで仕事ができる会社に絞り、入社後、実際にベトナムへ出向し、働いたそうです。
 
日本語講師として暮らしていたころと比べ、お金に困ることはなくなりましたが、それでもローカル生活が好きだったTさん。ホーチミンの中心に位置する日本人街の一角にあるバーの上の部屋を間借りし、バーの従業員とのコミュニケーションを楽しんでいました。
 
その後、転職して、ホーチミンにある日系のオフィス用品通販企業に現地採用され、約3年間働きました。
 
営業の仕事の際は、会社のハイエースでの移動以外に、ローカルバスを使うときもあったそうです。現地のバスは10円ほどで、中心から郊外まで数キロ~数十キロの移動が可能でした。
 
現地採用時には、破格の評価で一般的な日本での給与とほとんど変わらない額をもらいましたが、やはりローカル生活が好きで、ホーチミン市中心から車で5分ほどの部屋を間借りしました。
 
家賃は2万円で、広さは6畳ほど。シャワー、ベッド、クーラー付きで、築4~5年の意外ときれいな物件だったと言います。
 
当時は20代後半から30代前半、日本語講師時代と比べてお金に困ることはありませんでしたが、ローカル生活の中で支出をおさえ、貯蓄もできました。
 

30代で日本へ帰国。小学校の教員としてベトナムで得たものを子どもたちへ

30代になったTさんは、ベトナムに土着した暮らしに、将来の不安を感じるようになり、日本への帰国を決めました。
 
最後の半年間は、さらに郊外(市内中心から車で30分ほど)にある会社近くのマンションに引っ越し、ローカル生活を満喫しました。家賃は4~5万円ほどで70平方メートルあり、日本人がまずいない郊外ならではの物件でした(同じマンションにもう一人いたといううわさもありましたが、一度も会えなかったとのこと)。
 
日本に戻ってからは、大学時代に目指していた小学校教員になるため、教員採用試験を受け、今では小学校の教員として働いています。
 
ベトナムで生活をした20代後半の頃を振り返ると、ベトナムでレールのない人生を切り開いてきたことで、後悔しないために、何事に対しても「自分だったらこうしたい」という自分の考えを持とうとするようになりました。
 
また、自分で学ぶことの大切さも身をもって感じたそうです。流ちょうでないながらもベトナム語を使うことにハードルを感じなくなっていたため、ローカル社員との打ち合わせや、飛び込みの営業、電話でのアポ取り、社内外のメールなどもベトナム語でチャレンジすることができました。
 
ベトナム語のカラオケが大好きだったため、社員やベトナム人の友人たちとローカルのカラオケで歌い、数十人~数百人が出席する現地の結婚式でも必ず一曲以上歌い、場を盛り上げていたと言います。
 
小学校では、自分の体験をそのまま子どもたちに話すことはしていませんが、英語以外の外国語であるベトナム語を教えたり、自分たちとはまったく異なる暮らしがあるということを話したりしています。
 
今でも懇意にしている元上司にお願いして、ベトナムからビデオレターを送ってもらい、授業で使うこともあります。ベトナムでの生活があったからこそ、今の仕事もあると感じているそうです。
 
Tさんは良い出会いに恵まれ、多くのベトナム人、日本人と交流できたと言います。「彼らに支えられて、今の自分がある」そう語る姿は、とても生き生きと輝いていました。
 
Text:FINANCIAL FIELD編集部

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