更新日: 2023.03.16 年収
【天下人】織田信長の年収は「1000億円」以上!? 金山・銀山も所有していたって本当?
当時の室町幕府を滅亡へと追い込み、一時は天下統一を果たした信長が、どれほどの富を得ていたのか、気になる人もいることでしょう。このページでは、織田信長の年収について具体的に分析しています。
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)
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織田信長の功績と性格について
まずは、織田信長がどのような人生をたどり、どんな人物だったのかをおさらいします。
当時、東海地方を支配的に治めていた今川義元率いる大軍を、奇襲によって少人数の軍で破った「桶狭間の戦い」によって、当時25歳だった信長の名は全国の武将たちに知れ渡ったといわれています。
この勝利をきっかけに勢力を延ばした信長は、当時ピンチに陥っていた室町幕府の足利将軍家に近づいたのです。幕府の復活のために当初、信長は動いていましたが、三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れてからは将軍家と対立するようになり、やがて決別。室町幕府を滅亡に追い込みました。
その後、鉄砲を大量生産できるようになった信長は、長篠の戦いで武田家にリベンジして勝利。そこから天下統一に向けて本格始動します。
日本史上初の天守閣を擁する豪華な安土城を建立し、さらに中国・四国地方へも勢力を延ばそうとしていましたが、織田家の重臣だった明智光秀に裏切られ、48歳にして本能寺の変で自害しました。
信長は鷹狩りや茶道などを楽しむ文化的な側面があり、新しいもの好きで南蛮渡来の珍品に強い興味を示していたといわれています。楽市楽座令によって、商人を集めて経済を活性化しようとした一面もありました。
また、寺院に足しげく通うなど、信心深いところもあったとされます。その反面、抵抗勢力に対しては極めて冷酷な仕打ちをしたことでも知られています。有名な事例では、長島一向一揆の参加者ら約2万人の虐殺や比叡山延暦寺の焼き討ちなどです。
織田信長の「年収」に関する推察
織田信長の石高は約700~800万石という説が有力ですが、これは家臣の分も含めた勢力である可能性が高いです。当時の織田家の直轄領は実際、100万石から150万石ほどだったといわれています。
1石は2俵半、つまり約150キログラムの米を指しており、現在の価値(仮に5キロ=2000円)で換算すると、毎年およそ600億円から900億円ほどを得ていたかもしれません。
このすべてを「年収」として信長自身が使えたわけではないものの、現代でいう経営者の「売上」として考えれば日本屈指の大富豪であったことは間違いないでしょう。
加えて、信長は米よりも貴金属を重視していて、直轄領の中に数々の金山・銀山を所有していたといわれています。その価値も、石高と同等以上にのぼる可能性があるでしょう。総年収は1000億円から2000億円相当といえるかもしれません。
天下人は、屈指の大富豪でもあった
現代では、年間で兆単位の売上を誇っている大企業がいくつもあります。ただ、金融や株式市場の仕組みが全く整備されていない戦国時代に、年間で千億円単位の収益をほしいままにしていた織田信長は、名実ともに「天下人」と言っていいでしょう。
しかし、天下人は目立ちやすく、嫉妬も買いやすい分、その権勢を維持するのは至難の業といえます。
出典
国立国会図書館 レファレンス協同データベース
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